証(あかし)

クリスチャンホームで育ち、本当の主と出会った時(Y姉妹)

私の両親は教団の集会で出会い、結婚したそうです。私はクリスチャンホームに生まれ、育ちました。生まれて間もなくから教会には毎週行き、日曜日は朝の日曜学校から夜教師会が終わるまで役員会が終わるまでというのが常でした。

毎週教会に行くということ、行くか行かないかという選択肢もないまま中学生になり、反抗してみたこともありました。

洗礼を受けたのは中学2年生でした。まわりの友達も受けてるし、そろそろ私も受けておこうかというくらいの気持ちでした。神様はいるわけだし、困った時はお祈りすれば、なんかきかれてるみたいだし、信じるか信じないかといえば信じてるし。この先もイエス様信じて毎週教会にも行くわけだし、聖餐式(せいさんしき)も受けてみたいし。
牧師先生は両親の意見を聞きに来たりして慎重でしたが、先生の質問にどう答えれば洗礼が受けられるかは何となくわかります。そんなこんなで私が洗礼を受けたのは中学2年生でした。

では、私がイエスキリストこそ私の主だと出会ったのはいつでしょうか。
それは社会人になって2年目、幼稚園で年少組を担任していた時に参加したCAキャンプのときでした。教会幼稚園では、毎月暗証聖句をし、毎週牧師先生から聖書のお話しを聞き、毎日讃美歌を歌ってお祈りをしますが、この子達は幼稚園を卒園したら神様のこと忘れてしまうだろうと思うと祈らずにはいられなくなりました。それまでは自分から祈るなんてましてや、早起きをして一人で祈りたいなんて思ったこともなかったのに、その日は熱心に祈っている自分がいるのでした。

その事があってから、私の心はいつも喜びでいっぱいでした。こうしてただ当たり前の一日を当たり前に生きていることも神様の恵みだとわかりました。ただ歌っていた賛美が心からの賛美に変わりました。一日中、心から口から賛美が溢れてきました。教会の奉仕も楽しくて、どうやって神様を伝えようか、この喜びをどうやって分かち合おうかとウズウズしました。

その後も、人並みの悩みや試練を通りましたがいつも神様は御言葉で励まして助けてくださいました。 悩みのとき、神様は「万事を益として下さる」という言葉で励ましてくださいました。大きな大きな試練のときには「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。 ヨブ記 1:21 という言葉を思い起こさせて助けてくださいました。

当たり前だと思って過ごしてきたこの一日一日は、神様の恵みで溢れていました。聖書には、主の良くしてくれたことを何一つ忘れるなという御言葉がありますが、私もひとつでも多く神様の恵みに気づいて、神様に感謝する人生を歩みたいと願います。
2021年3月

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