教会紹介

名古屋聖書教会時代

初代:John W. Juergensen (ジョン・ジュルゲンセン師)  ジョン師とネティ師の年表はMasakazu Suzuki師の『The Origins and the Development of the Japan Assembleis of God:The Foreign and Japanese Workers and Their Ministries(1907 to 1975)』より抜粋。私訳あり

ジョン・ジュルゲンセン師 年表

1893年 5月 3日 ドイツのウレンスブルグ生まれる。
父は日本にペンテコステ信仰を家族で伝えた Carl F.Jurgensen。
ベウラハイツ(米)にて後の妻となる Esther Kelchner(エステル・ケルヒナー)に出会う。
1918年 5月21日 エスターと結婚。
1919年 ニューヨークの近くニュージャージー州ノールベルゲンにあるベウラ・ハイツ宣教師養成学校を卒業。
5月25日 妻エスターと共にアメリカのアッセンブリー・オブ・ゴッド教団より伝道者として任命。
11月 3日 日本に向けて出発。
11月20日 横浜に到着。ジュルゲンセン家族と再会を喜ぶ。
日曜学校、説教、英語の授業を手伝う。
その後すぐに、ペンテコステ派のトラクトの出版と日本人の牧師を訓練するための聖書学校を始めるという2つプロジェクトを考える。
1920年 4月24日 最初の子どもである Grace Marie が生れる。
1922年 1922年5月~1924年4月までジョンの両親たちがアメリカに帰国した際、彼らの働きを担当する。
  • ジョンとエスターは駒込の富士前教会で牧師を務めるため、滝野川に住み通勤した。
  • ペンテコステ派の礼拝スタイルを日本に持ち込む。
  • 岡山から東京に到着したばかりの弓山喜代馬が富士前教会に訪れる。
  • ジョンとエスターが弓山や他の人たちを働きにリクルートする。
1923年 弓山喜代馬はジョンとエスターの下で勉強しながら、ジョン夫妻のために働き始める。弓山喜代馬は出版、トラクト配布、福音宣教の奉仕を手伝う。
1924年 9月 1日 関東大震災。ジョンとエステルは夏休みの間軽井沢におり助かる。
ジョンの両親と姉妹が宣教師の日本に戻る。彼らと共に福音伝道の拡大に取り組む。
  • 滝野川に不動産を取得し、日本で最初のペンテコステ派教会の建物のため、資金を集め始める。
  • 二人は赤羽で新しい働きを始める。赤羽で伝道を開いたとき、日本人のYoshimaro Namiki 夫妻を通訳として連れて行く。
  • 日本人の働き人や通訳者を訓練する。時には4,5人の訓練を受けるものたちがいた。
  • ジョンは日本ペンテコステ伝道者養成所で5人の生徒をもつ。そこには弓山喜代馬、Yoshimaro Namiki、Chikara Taniが含まれている。
1927年 2月13日 滝野川が建て上げられたのを見て、その後休暇をとり、ジョン、エステル、グレースはシアトルに到着する。米国滞在中、ミッションプランを再考するため、ベウラハイツに滞在する。ジョンはペンテコステ派の信仰は日本の他の地域に広がるべきだと考えていた。 当時、日本のペンテコステ派の宣教師は、東日本には東京と横浜、西日本に神戸、京都、大阪にいたので、東京を離れることを考え始めた。
1926年 埼玉県川口で伝道を始める。
1928年 5月 9日 日本に向けて航海に出る。二人は4人の新しい宣教師(兄弟と姉妹のバース、フィレンツェ・バイアーズ姉妹、ネッティ・グライムズ姉妹)と一緒に日本へ。長崎に行くことを考えていたが、伝道が困難な東京の西350kmの名古屋に宣教地を定める。
  • ジョンとエステルは名古屋に3人の日本人を連れて行き、住む家を借りる。
  • すぐには建物の確保ができなかったため、天幕伝道を始める。
  • 半年以内に2つの拠点を開設する。
12月 6日午前0時30分 順調に働きを進めていたが、妻エステルがわずか29歳で「重篤な故障と12日間の短い病気の後」突然死亡する。
  • 妻エステルはジョンにとって非常に大切な存在だった。東京にいる間、彼女は毎朝、日本人の働き人に聖書を教えた。また、彼女の助けがあり、ジョンはわずか6ヶ月で名古屋に2つのミッションステーションを開設することができた。
  • 妻エステルの死後、ジョンは娘と一緒に東京に戻り、両親と一緒に滞在することに決める。
  • 友人や家族が祈る中で、ジョンの人生に新しい章が始まりまる。
1929年 9月25日 ジョンは元々名古屋におりジョンとエステルの働きを助けたネッティ・グライムズと再婚する。
アメリカアッセンブリー日本地区は日本のグループを再構築し、日本聖書教会(JBC)を設立する。
1929年4月 JBC が最初に発行した新聞「後の雨」を担当する。
日本人の牧師横井健太郎は1929年~1930年まで編集助長を務めるが、1930年の春に教会を去る。
1930年 4月~ 牧師横井健太郎はジョンと共に名古屋で仕事を始めた金崎の後を継ぐ。
10月  1934年11月にクリスチャンになったYataro Minouraと、クリスチャンのYukiko Miyoshi の2人が働きに加わる。金崎の指導の下、名古屋周辺の山村で伝道を行い、2つ拠点ベースを設立する。
1932年 秋 滝野川聖霊聖書学校で学んだ丸山栄が名古屋に来て名古屋の牧師を引き受ける。
1934年 丸山栄は異言の意見の相違で辞職する。
1936年 年末 丸山栄は名古屋に戻り、再び牧師になる。
1938年 11月11日 ジョン・ジュルゲンセン師、心臓麻痺で死亡。

妻 Nettie Grimes(ネティ)師 年表

1903年 10月15日アルトンで生まれる。
1967年~1973年 ミズーリ州スプリングフィールドのセントラル・バイブル・インスティテュートに通う。
1928年 2月16日 アメリカのAG宣教師に任命される。
5月 9日 日本に到着する。
1929年 9月25日 ジョンと結婚する。
1930年 7月11日 第一子アグネス誕生。
1932年 2月10日 第二子ベルニス・フェイス誕生。
1933年 7月12日 第三子グラディス・ナオミが名古屋で生まれる。
12月25日 第三子グラディス・ナオミが天に召される。
1934年 4月 2日 第二子ベルニス・フェイスが天に召される。
1935年 3月21日 第四子ローザ・リー・メイ(Rosa Lea Mae)誕生。
1938年 11月11日 ジョンジュルゲンセン師、心臓麻痺で死亡。
1939年 6月 ネティ師と3人娘はアメリカへ帰国。カンザス州のネティ師の家に戻る。そこで教会の牧師になるのを頼まれる。
1940年 11月28日 アメリカアッセンブリーに任じられカンザス地区の牧師としてガーネットの町で奉仕する。
1942年 宣教師リストからは外れる
1935年 3月21日 第四子ローザ・リー・メイ(Rosa Lea Mae)誕生。
1950年 5月 4日 日本に宣教師として再任。
1951年 4月 名古屋に戻り天塚キリスト教会を建て上げる。
1963年まで日本で働き、アメリカへ戻る。
1963年 10月14日 カンザス州でアメリカアッセンブリーの牧師として仕える。
1970年 1月 1日 引退。
1991年 3月10日 カンザス州で召天。

二代目牧師:丸山栄(妻:琴) 年表

※妻:琴のライフヒストリーである『クリスチャン女性の生活史』著者:川村清志より抜粋。
1931年 12月 名古屋聖書教会赴任(生活史P126)
1932年 4月 1日 奈良県出身の琴と結婚する。名古屋市東区鎌田町に居を構える。
1933年 1月17日、長男 徹宗が誕生。鎌田の教会から東区の石神堂町に移転。
1934年 異言の意見の相違で一度辞職。
1936年 年末名古屋に戻り、再び牧師になる。
1937年 5月 次女、牧子が誕生。
1939年 6月 ネティ師家族帰米。
1941年 5月11日 三女、惠子が誕生。
12月 8日 太平洋戦争勃発。
1943年 8月14日 次男、次郎が誕生。
家の明け渡しのため東区の石神堂町から、2キロほど離れた同じ東区の矢田町に引っ越す(P198)
同じ矢田町の大曾根駅近くに家を購入し直す。
1944年 10月召集令状が届き出兵 『クリスチャン女性の生活史』著者:川村清志
1945年 名古屋の空襲が激しくなる。
3月23日、次男の次郎が召天。
琴と家族が実家の奈良に疎開。
1月 8日 戦死し召天(娘の惠子さんによる)
8月15日 終戦
1946年 4月終わり頃 奈良にいる琴は公報にて栄が戦死したことを知る。
1947年 琴と家族は奈良の高畑教会に通う。
※妻琴のライフヒストリーである『クリスチャン女性の生活史』著者:川村清志は天塚キリスト教の前身である名古屋聖書教会のことが記されている貴重な資料である。

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